教会案内

カトリック小岩教会

小岩教会は、1954年に本所教会の準教会として発足、1956年に小教区となりました。発足当時の信者数は約30名、現在は700余名です。聖堂は、1958年5月5日にドイツ・ケルン大司教区の多大な援助によって建てられ、ドイツの守護の聖人「聖ボニファチオ」を保護の聖人として戴いています。

2008年5月5日には献堂50周年を迎えました。その記念としてケルン大司教区より聖ボニファチオの聖遺骨を頂き、2009年6月7日、故・白柳誠一枢機卿の司式により聖堂内に安置されました。


聖ボニファチオ司教殉教者

「ドイツの使徒」とも呼ばれる聖ボニファチオは、672年頃に英国デヴォンシャーのクレディトンで生まれました。 修道院附属の学校で教育を受けた後、ベネディクト会のナースリング修道院に入り聖書の研究をしました。30歳で神父となり、宣教師としてゲルマン民族(オランダ・ドイツ)への布教に携わりました。718年にローマに行き、当時の教皇グレゴリオ2世の祝福を受けて「ボニファチオ」(善をなす人)の名を授けられました。その後、チューリンゲン、ヘッセン、フルダなどに修道院を建て、722年に教皇によって叙階され、ドイツの司教となりました。 聖ボニファチオは、52人の宣教師とともにフリースラントにおいて布教の最前線で働いていたとき、754年6月5日の聖霊降臨祭にドックムで異教徒に襲われて殉教したと言われています。このため、聖ボニファチオの記念日は6月5日とされました。 聖ボニファチオの遺骸はしばらくユトレヒトにありましたが、やがてフルダの修道院に埋葬され、現在ではフルダ司教座聖堂の祭壇下の地下聖堂に霊廟が置かれています。


教会印について

小岩教会の教会印は木と斧のマークです。これは次の出来事に由来しています。

724年にドイツ北部のフィツラーで、村人たちが「雷神トール」の宿る神木として崇拝していた樫の木を、聖ボニファチオが切り倒しました。人々が「天罰が下る」とかたずを呑むなか何事も起こらず、村人たちは迷信の夢から覚め、聖ボニファチオを尊敬して続々と受洗したそうです。

なお、このときに周囲の木々も下敷きとなって倒れたにもかかわらず、若いモミの木が一本だけ倒れずに残っていたと言われています。それを見た聖ボニファチオは「これから私たちは“モミの木”を、幼子イエス・キリストと呼ぶことにしよう」と言い、それがクリスマスツリーの発端になったと伝えられています。